初めての家庭教師先は、高級住宅街のお屋敷だった!

初めての家庭教師先は、高級住宅街のお屋敷だった!

北陸の田舎町出身の私が、地元の県立高校を卒業後、東京の有名私立大学へ進学したのは、バブル前夜の1970年代後半でした。詳しくはこちら→家庭教師を探す。

 

 

農業を生業とする両親の反対を押し切っての上京だったため、学費と生活費を稼ぐために昼夜を問わず、寝食を忘れてバイトに励まざるを得ませんでした。相談するならプロ家庭教師←ココから。

 

 

そんな状況下、手っ取り早くお金になるバイトと言えば、家庭教師でした。詳しくはこちらへ→家庭教師 大阪ご相談ください。

 

大学入学後、直ぐにT駅近くにある家庭教師協会に登録し、協会からの連絡を心待ちにしていると、約1週間後に一本の電話が入りました。
「え〜と、○○君、今回が初めての君にはちょっと荷が重い生徒かもしれないけれど、やってみる?」
とにかく、お金を稼ぎたい私には教える生徒や生徒の家庭環境などに興味は無かったので、二つ返事で引き受けました。その後に起こる悲劇もまったく考えずに。
「それじゃ、3日後の火曜日夕方6時に渋谷区松濤×丁目△△まで、直接行ってくれるかな。先方にはこちらから君のことを伝えておくから。じゃ、遅刻だけはしないようにね」

 

分りました、と答えたものの、初めて耳にする「松濤」という土地柄も聞かずに引き受ける仕事ではなかったことを理解するには、当時の私は幼過ぎました。

 

家庭教師初日、渋谷駅で下車した私は、道に迷いながらも目的地である生徒の家に到着しました。その家は、まさにお屋敷と呼ぶにふさわしい佇まいで、当時としては珍しい警備会社のステッカーが貼ってあり、塀の上には忍び返しが設えられているというものものしさでした。まずは家庭教師 東京をご覧ください

 

 

インターホンを鳴らすと、母親らしき上品な女性が現れ、
「○○さんですか?わざわざ来て頂いたのに、大変申し訳ございません。こんなことは言い難いのですが、息子の家庭教師さんは、東京出身の方にお願いしようと思いましてね。どうか今日のところは、このままお引き取り下さい」
そう言って、門を閉められた私は、トボトボ来た道を渋谷駅まで帰らざるを得ませんでした。

 

それから暫くして、居酒屋のバイト仲間に「松濤」が東京を代表する高級住宅街の1つであることを教えられたのです。気になった方は家庭教師 名古屋で!